閉鎖した世界。
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06 , 26



持田香織は喉を壊していたらしい……。
知らなかった。
誰もがかつてのままでいるわけではないんだな、と思い知る。
時が過ぎ行けば……、と彼女は歌った。
だけど、現実は残酷すぎる。
過ぎ去った時の中で、持田は何を思うんだろう。
かつて僕らの世代を魅了した多くのシンガー達が、
今ではもう、影の中に隠れてしまっている。
あの頃の記憶が……そう、10年前の記憶が酷く懐かしい。
何もかもが華やかで、勢いを持っていて、そして力強かった。
僕はまだ中学生で、携帯さえ持っていない頃だった。
MDに保存した彼女らの歌声は、自転車を転がす僕の耳の傍にあって、
青臭い小僧に不思議なパワーを与えてくれていたものだ。

10年。
時は残酷すぎる。
取り戻した思い出が、永遠に消えない傷跡に変わるほどに、
10年という時間は残酷なほどに遠い時間だ。
次の10年で僕は何を思い、どう変わっていくのだろう。
悲嘆ばかりが目の前を過ぎる。
理由はもう、くどいだけ吐き散らした。
僕はまた、過去を引き摺る人生に戻っただけなのだから。

他人よりも遠いあの人は、今どうしているのだろう。
死んでもいないのに、なぜか死よりも遠い所に行ってしまった気がする。
永遠。
僕はそこから抜け出せるのだろうか。

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06 , 22
が撫でさせてくれるまで新密度がアップした。
正味、一時間弱粘った結果。
おかげでご近所から可哀想な目で見られたけれど、
フラグ立てるのには色々と捨てなきゃいけないものがあるんです。
主に羞恥心と自尊心。
ツンデレ? いらないな。
男は黙ってバカになれ。
愛されたかったらバカになれ。

やっぱりニャンコの背中はすべすべで気持ちいいですの。
思う存分モフモフしてやったのでしばらくネコ分は大丈夫。
次は抱っこしてみたい。年内の目標にしよう。

ともあれ、動物と仲良くなるのに必要なものが何かわかった。
それは穏やかなアピールと、それに気付いてくれるまでの我慢。
手当たり次第にガッと迫るんじゃ強姦魔と変わらない。
とにかく触らせてくれるまで待つ。
ビビリが解けるまでじっと待つ。
そういうのは距離で把握する。
逃げるのならばちょっと追って、でも近づき過ぎずに待つ。
それが動物のコミュニケーションなんだと理解する。
あと、名前を呼んであげること。
これ大事。
僕も名前を呼ばれるのは好きだ。
きっと、動物にしたってそうなんだろう。
自分を理解してくれることは、やはり嬉しいのだ。



…………。
だからダメだったんだろうか。
振り返り、仰ぎ見る世界で、僕はそういう些細な努力が出来なかった。
失敗したことを後悔し続けても仕方はないが、
次は上手くやってみせる、と思ったところで、次が思い当たらない。
ならこの無意味な心のベクトルは何処へ行けばいいのだろう。
どこで自分の失敗をやり直せるというのだろう。
梅雨の空が辛い。
明日と明後日の晴天を、ぜひとも無駄にしたくはない。

06 , 21
EveryLittleThing「Time goes by...」


06 , 18
それが最大の問題。
届かない腕の短さか、それとも眠れぬ夜の陰惨さか。
落ちる気になればどこまでもこの身は落ち続けるだろうけれど、
少なくともまだ絶対に譲れない境界線が目の前にある。
僕は恐らくその境界線を絶対に踏み越えることはなく、
けれど離れていくのを黙って見過ごすつもりもない。
延々と延々と、その境界線を眺め続けて、痛みを堪え続けなくてはならない。
それが僕なりのやり方。
今、できる最低で、けれど自分にとっては最上の答え。
一時の苦しみから逃れるために一生の後悔をするよりも、
一生続く青い後悔を、延々と堪え続ける方が絶対にいい。
全て投げ捨てるようなことは絶対にしない。
僕はそういうやり方しか知らない。

二月から既に四ヶ月。
僕は一歩ずつ前に進みながら、毎日後ろを振り返っている。
恐らく、まだ前を向くことは出来ない。
それをかつての自分は絶対に許さないだろうから。

何はともあれ仕事初め。
簡単な仕事とは言え、気を抜いてはいけない。
頑張ろうと心に決めた。

06 , 17
友人と二人で定番のドライブ。
五所川原を抜けて十三湖高原までの行き当たりばったりの旅だ。
空は澄み切って青く、梅雨を間近にしているとは思えないほど清々しい。
絶好のドライブ日和だった。

基本的に僕らのプランは道の駅を回るスタンプラリーにある。
移動の分岐点としても道の駅はちょうどよく、
国道の番号さえ間違えなければ必ず辿り着くことができる。
誤って県道を走ったら迷い道になるが、その辺はご愛嬌。
いつものことだ、と笑って飛ばす。

車中、友人の好みでL'Arc~en~Cielをひたすら流す。
中学時代からの僕のレパートリーなので、テンションは割と高い。
が、反面、思い出の深い曲ばかりだ。
口ずさむアップテンポのリズムの裏で、
脳髄に響くような青い刺激をごまかせなかった。

順調な旅先で、僕は一つ友人に寄り道をしてもらうことにした。
柏のイオン。そこである買い物をしたかったのだ。
求めたのは部屋用のフレグランスだ。
白檀の清楚な香りのするものを以前、そこで買ったのだった。
それが買えたら、青い痛みもちょっとはごまかせるんじゃないかと、
そう考えたものの、目当てのものどころか、店が見つからなかった。
恐らくは、入れ替えがあったのだろう。
テナント系にはよくあることだ。
残念という思いと、それでよかったという思いが交錯する。
複雑すぎて、自分がわからなくなる。

ただ、頭を過ぎるのは「遠すぎる」という距離の概念だ。
あるいは時間の概念なのかもしれない。
まだ一年も過ぎていないのに、そこは酷く遠く感じられた。
あったはずの場所がなく、あったはずの香りがなく、
何より約束が果たせなかったことが遠すぎて、あまりに遠すぎた。
今、ここにいる自分の居場所がどうしてここなのか、
自分のことなのに納得できず、理解を拒みたくなる。

だから夢が幸せ色に染まってしまう。
ありえない現実を叶えるために。
そして僕は目を覚ました時、太陽の眩しさに深く絶望する。
また陽が昇るのだ。月は沈むというのに。
せめて、もう少しだけ陽の昇りが遅ければ、
もっと月の出が速ければ、こうも悲しむことはないのだろう。
夏はいつも寂しさが募って仕方がない。

06 , 16
のはもしかすると、女性に好かれないのと似ている。
猫も女性も、下心のある相手には非常に敏感だ。
そこに危機意識や警戒感が生じるのはもう、当然っちゃ当然である。
やっぱり猫は人をよく見ているのだろう。
「そういう人」と「そうでない人」の区別をしっかり出来ている。
僕は間違いなく下心のある人で、上手に接することが出来ないタイプだ。
言葉が通じればそういうものをひた隠しにすることも出来るだろうが、
相手に言葉は通じない。
使えるものはひどく原始的なコミュニケーションだけだ。
といってもその原始的な、動物的なコミュニケーションってのが、
ひどくアナログで、何よりも難しいことを僕は知っている。
頭で考えて出来ることではないからだ。

言葉を使わないコミュニケーションには、体を使って応じるしかない。
だが、体で語るというのは、言葉で語る以上に心を見せる。
たとえば表情、たとえば手の仕草、たとえば目の動き。
そういうものに僕たち男性は割合鈍感に出来ているけれど、
女性と、それと動物はとてもそういうのに敏感だ。
恐らく本能的な警戒感と防衛本能なのだろう。
言葉は悪いが、彼女たちのそれはとても動物的で羨ましい。

かつて平安の頃、女性が文字を体得するまでは、文字は男性のものだったという。
つまり女性にとっては「Face to Face」のコミュニケーションが当然で、
それは今でも変わらずにずっと何千年も続いてきた伝統だ。
一方で男性にとって「会話」や「話し合い」は仕事の道具となってしまい、
コミュニケーションでの重要性は割合低めに設定されるようになってきた。
だから男性は「会話」のうちの道具としての機能を重要視し、
表情や仕草……それらから繋がる「感情」というのを軽視するようになった。
よく言えば理知的で、悪く言えば愚鈍。
女性の方はある意味で野生的で、男性とは反対に過敏だ。
僕たちにはそれだけの開きがあり、
それを埋めていくためには色々な手段を用いなくてはいけない。

よく、話し合いで解決しよう、と言うけれど、
話し合いで解決できるのは男性だけだ。
女性にとって、話し合いというのは感情のぶつけ合いに他ならず、
そこには合理性や道徳性なんかを持ち込んだって意味はない。
必要なのは自分の感情を諫めたり、上手く鎮めてくれる結果であり、
面倒な言葉や小難しいプロセスをイチイチ語る男ではない。
だから時には猫に接するように、頭を撫でたり、
抱きしめてやるのが一番ということがある。
言葉の弱さをそんなところから痛感してしまう、今日のこの頃だ。




どうでもいいが、僕は昨日、ようやくカメラを手に取った。
写した写真には誰もいない。風景だけが色鮮やかに写っている。
何かが抜け落ちたような、そういう構図だ。
笑うしかない。苦々しく。
シャッターを切る瞬間のあの寂しさは、恐らく一生付きまとうのだろう。
まあ、それでもいいかと僕はシャッターを切る。
気がつくと僕一人の自分撮りをしていた。

06 , 15
裏のアパートにあやめちゃんという女の子が住んでいる。
まだ小さく、あどけない子だ。
遊び盛りなのか、よくうちの周りを冒険して歩いている。
小さい頃は大体がそんなカンジだ。
自分の世界をちょっとでも広げたくて一生懸命。
僕も小さい頃は隣三軒までいくのも冒険心が揺れ動いたものだったから、
恐らくあの子にとってもそれは大冒険なのだろう。

そんなあの子に僕はちょっかいを出すことにした。
出来たら頭を撫でてやりたいし、抱っこしてみたいとも思う。
父性の表れだろうか。
いや、これはきっと愛玩衝動。
いけないな。まずいよな、と思いつつも接近。
しかし、さすがにあやめちゃんの警戒心は強い。
僕の目を見た途端にさっ、と物陰に隠れてしまう。
参ったな、と思う反面で携帯のカメラを構えてしまう僕。
恐らくこれ以上の接近は無理なので、ここはしっかり激写しておくべきと判断した。
さらなる犯罪のカオリ。
神さま、僕はこういう男です、許せ、というか認めろ。

ちなみにあやめちゃん(1歳)は虎縞のにゃんこさん。
尻尾が短いキュートな子です。
お隣のにゃんこでは灰色地に靴下のルルや、
ミルクティー色のチャチャも好きなのですが、
やっぱりあやめちゃんが一番可愛く見える今日のこの頃。
ああ、いつか触りたいなあ。抱っこしたいなあ。

06 , 13
壮子「胡蝶の夢」ではないにしても、
最近の僕はおそらく、現実よりも夢の中の方が生きている実感がある。
寝ている時間なんてせいぜい3~4時間程度だってのに、
その歪みのような日々の谷間が、僕の中の活きた世界なのだ。

そう思うほど、やけに幸せな夢を見る。
失ったものを取り戻せる夢を。
追いつけなかった場所へ、追いつける夢を。

だから目が覚めた時に、僕は呪文を唱えなくてはいけない。
「それは夢なんだ。ありえないんだ。
 だから僕は期待しないし、その可能性を否定する」

そんな呪文を。

ああ、わかってる。わかってるさ。
それがかつての自分をぶん殴って引き倒すようなものだってのは。
可能性を提唱して、人の背中を押しまくってた自分だ。
その僕がこんな呪文を吐いてたんでは、本当に誰も救われない。

それでも、耐えられない。
望み、願って求める理想と、今ここにある現実とのギャップに。
空の青さに泣きたくなるなら、大地の暖かさに頬ずりすればいいように、
今の僕は、自分の願いや望みをひたすらに殺し続けることしか出来ない。
生きる活力を駆逐することに生きる望みを見出すなんていう矛盾サイクル。
それだけ、僕の見た太陽は眩しすぎたのかもしれない。





心の慰めににっぽん昔話置いてみる。
「たねまき長者」
関連:本日弟が童貞を卒業いたしました(ハム速)
ああ、いいね、とてもいい。
このよくわからない縁結びアイテムがすごくいい。
箱庭シリーズはきっと農家に春を呼んでくれるな。

うち、農家じゃないけどな……。

06 , 10
雨降りに窓全開でいるもんじゃあない。
とかく湿っぽく、気分が悪い。
空気の質量的重さが常に体の周りにあり、
それに引かれて雰囲気的重さもずっしりとのしかかる。
吸い込むと余計に気が滅入りそうだ。

恐らく、暑さそのものは大したもんじゃないんだろう。
問題になるのはこの湿度だ。
もうとにかくひどい。
体感湿度自体はなんとでもなる。我慢できないほどじゃない。
気になるのは匂いの方で、この微妙に甘ったるくカビ臭いのが、
実に不快感のゲージをハングアップさせてくれる。
こういう日はさっさとシャワーを浴びて寝るのが一番だろう。
そうに決まってる。

田代のタケノコ祭を友人と二人で見に行く。
目当てはネイガー。
相変わらずハン様のトークが素晴らしすぎ。
あと、ネイガー・マイとエラシグ姐さんを初めて拝見した。
彼女らはプロレス出身らしいので技をマジでかける。
コブラやばい。あのスーツ着てコブラはマジ痛いと思う。
派手なエフェクトかけるネイガーよりよっぽど強いだろうと把握。
ネイガープロジェクトも一年で随分賑やかになったものだ。
応援してきて正解だった。

……しかし随分普通の日記だ。これでいいのか、自分。
本当にこれでいいのか、自分よ。
以前のようなパンチというか熱意というか、どこへ。
まだまだ何かを模索している気がする。
新しいスタンスを身に着けたいところだ。



06 , 08
などと怠惰な自分に何を言っているのかわからないが、
そんなものを買ってみようかと思案していたところ、
そういえば「リーズのアトリエ」を買おうと思っていたのだなあ、
と思い出した。

のはいいのだが。
「リーズのアトリエ~オルドールの錬金術師 不具合についてのお知らせ」
これが公式サイトのトップである。
どうしよう、っていうかどうなのよ?
不具合状況を見れば見るほど買う気は削がれ、
ゲームとしての面白い面白くない以前の問題だと気付かされる。
そもそも出来上がってない。

他のレビューサイトなど覗いてみると、
どうやら製作はアトリエで大きくなったガストではなく、
ハイドincという所に外注して、丸投げ状態だったらしい。
これはひどい。
一応、ハイドの公式サイトにも目を向けてみたのだが、
リーズのアトリエに製作参加していたというような記述は一切なく、
ああ、これは情報掲載すら封じられたんだな、という空気で溢れている。
ガストが何を考えてこの会社に外注したのか知らないが、
少なくともTOPページの更新履歴がズレているところからして、
ハイドの製作能力がどれほどのものか、大変よくわかる。
色々と悲しいことばかりだ。

【 Read More 】
06 , 06
もうすぐ24の夏を迎える。
Webで日記を書き始めて早七年。
僕は毎年、同じようにこんなことを書いているような気がする。
数えるのは年の数ばかりで、一年という区分に大きな変化はない。
ただ漠然としているか、それとも節目があるか、その違いだ。
去年や一昨年は幸いなことに節目としての年だった。
あっと言う間に過ごしてしまうのではなく、
一つ一つの期間に記憶に残るような出来事があり、それに応じて僕も変化を伴ってきた。
いわば、進歩というものだろう。

今年は随分漠然としたまま時間が過ぎる。
自分の気持ち次第だということは、既に気付いて久しいのだが、
立ち止まってしまった僕にとって、時間の流れはやけに速い。
かくも追いつけないものなのか、と毎日嘆くばかりで、
どうやってサイクルを回していくのかも、最近は忘れそうだ。

もうすぐ24。
こんなことを後五年も繰り返せば、僕は30の大台を目の前にする。
うちの兄も同じような心境で今年、30の壁を越えたのだろう。
それでも彼は彼なりに必死にやって、僕はそうではない。
恐らくは。
僕は今、誰よりも格好悪いのだと思う。

オンラインゲームの中で、ある人から、
「焦らず、ゆっくり頑張ればいいんだよ」
と言われた。
同じ言葉を以前、僕は大切な人から貰っていて、だからそれは酷く痛烈だった。
繰り返している、と自分に言い聞かせる。
そしてこのサイクルは自分をまた傷つけるだけなのだと。
抜け出さなくては。
そう自覚する。

もうすぐ24。そして夏。
僕は自分を試さなくてはいけない。

【 Read More 】
06 , 03
きっと物語としては三流なんだろうな、と思い描く。
今の僕は間違いなくBADエンド後の人生を歩む主人公だ。
多分、これから先に色のついたドラマはなく、
テクストだけの真っ暗な世界が示されるだろうけれど、
あえて言うならエンディングがあるだけまだマシと言える。
終わりなく、永遠に、その真っ暗な世界が続くよりは、
絶望に打ちひしがれたシーンの長回しのほうがきっとマシなのだ。
なぜって、それは次の物語が始まるかも知れないからに決まってる。
勝手に自分にスタッフロールを流すような、
そんなマネをしていた自分に、いい加減見切りをつけた。

偉い客観的に、かつての自分が遠く見えた。
中身なんて大して変わってないだろうに、
それでもなぜか、遠く遠く、素晴らしく遠くに自分がいる。
だからきっと、これまでの”彼”のストーリーはここで終点なのだ。
恐らくは、次の舞台は”僕”が立たなければならないのだろう。
もはや真名の彼もおらず、ただのMizであった自分も希薄。
それなら僕は、今の僕はどんな名を持つべきものなのだろう。

そんなことを電子の彼岸で思い続ける。
それはきっと、新たなプロローグを模索する第一歩なのだと思う。

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