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閉鎖した世界。
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09 , 30
暗い話なので伏せる。
正直、書いた張本人の自分でさえ目にするのがイヤになるが、
少なからず、今、この話は、
「危険だから」「気持ち悪いから」
と言論を抹殺されて終わるべきではないはずなので、
僕なりにそういう「イヤなもの」を道義的に解釈してやることにした。

悲劇は、正面から見据えれば吐き気のするイヤなものだが、
そこから得られる教訓は、真っ当なお説教よりよっぽど脳に宿る。
イヤなものを知るからこそ、人は余計に今の平和を守ろうとするのだろう。
こういう「現実」を否定しよう。
僕はそういう立場で以下の文章を書く。

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09 , 28
午前2時37分
突然、目が覚めた。

「                   」

寝ている間に思考していたことは一切が霧散して、
そこにあった驚きと幸せが交じり合ったような記憶が全てない。
ああ、と思う。
何かすごく嬉しいことがあったのに、
何かすごく感激することがあったのに、
起きたらなんだかすごく寂しくて。
窓の外ではこの間の豪雨の時に等しいだけの雨が降っている。
屋根を打つ雨音がひどいノイズだ。

それでも、一つだけ覚えている。
今、何か「導き」のようなものがあったのだと。
それを妄想や妄信だと言えばそれまでなのかも知れないけれど、
目に見えなくても、声が聞こえなくても、
確かにそこに「神」を感じ取ったような気がした。
運命はまだ、途切れていない。
まだ僕は見放されていないのだと、その安堵を胸に抱いて目を閉じる。

この調子だと今日は雨だろう。
けれど、悲嘆することも、気だるく空を見上げる必要も無い。
明けない夜はなく、晴れない空もない。
いずれ晴れる。
だから、僕はそれを信じて、ひたすらに信じて祈り続ける。
光あれ、と。

09 , 25
移ろい、変わりやすいもの。
絶好のお月見日和と思いきや、ほんの1時間ばかし眺めたところで雨がぱらり。
想いに反して、空は気まぐれの様子を見せた。

元々、十五夜のお月様を見るというのは、稀なことだ。
9月の末頃というのは本来、雨の多い季節。
雨のせいで暗天となることは割と当然と言えば当然である。
そういう時、昔の人は空にお月様がないことを受け入れて、
地上にお月様を作ることで、この日を祝った。
お団子。
重ね、並べた○の玉は、
地の恵みに感謝する豊穣の祈りであり、お月様の代用物だ。
ただの○でありながら、地の恵みと天の恵みを兼ね備えた素晴らしいものだ。
心も満たし、お腹も満たせて一石二鳥。
昔の人はよく考えたものだと感心する。

まあ、短い時間ながら、祈りは果たせた。
同じ月を眺めていてくれればいいと、そう願う。
願わくば、幸せでありますよう。

昼を照らす太陽が、現実を作るための光を与えるなら、
夜を照らす月は、安らぎとロマンを与える光となろう。
加速し、心が擦り切れてしまいがちな現代だからこそ、
この穏やかな月の光を忘れてはいけないと、そう思う。

闇が与えるのは恐怖だけじゃない。
傷を隠し、不安を見せぬよう、覆い隠す温かさもある。
だから闇を遠ざけることのないよう。
だって、闇夜にこそ月は映えるものだから。

09 , 22
赤く、緋の色に染まった空に、秋を見た。
肌寒い風が仕事後の体には少し堪える。
しみじみとしたせいだろうか。
どうしているかな、なんて考えた。

元気でいるだろうか。
笑顔でいるだろうか。
新しい友達と上手くいっているだろうか。
自分に精一杯生きているだろうか。

夢は輝いているだろうか。
歌は歌っているだろうか。

タバコを吸ってたりはしないだろうか。
好きな人はいるのだろうか。

辛くは、ないだろうか。



全てが断たれた今となっては、
ただ信じることしか僕には出来ない。
とても無意味で、とても無力で、とても無様。

……けど、電話も手紙も届かない人だって世の中にはいる。
異国で行方不明になった人や、拉致された人。
長い年月に遮られて探すことも出来ない人。
記憶を失ってしまった認知症の人や、
……あるいは、三途の河を渡ってしまった人。

そういう人を求め、祈り、信じ続ける人に比べれば、
僕はきっとまだ幸いで、救われている。
今は空が雲に覆われていて、光も見えないけれど、
遮られた曇り空の向こうに、太陽があることを僕は知っている。
晴れたらいいな。
晴れたらいいのに。



もうすぐ十五夜。
一年でもっとも月が美しく満ちるとされる夜。
今年は晴れてくれるだろうか。
月は出るだろうか。

すすきとお団子、それと秋の果物を用意しよう。
月を愛で、秋を感じ、虫の音色に耳を澄まそう。
日本人であったことを、幸いと思えるように。
この秋の静けさに、月に祈ろう。
幸せでありますように、と。

09 , 21
また、詩。
余計な言葉はどんどん削っていこう。
長いお説教なんて一つも頭に入らないで、
右から左に、左から右に、
スルスルスルスル抜け出てしまうから。

とっても短く、簡単に。
旅行に行くのに、そんなたくさんいらないよ。
もっと荷物は小さくまとめなさい。

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09 , 20
実験的に絵本調で書く。
大人はすごいし、賢いし、合理的だし、知恵を絞れば何でもできるけど、
その賢さは時として、「子供には絶対届かない言葉」になってたりする。
「大人の言葉」で喋ってませんか?
大人の都合を押し付けてませんか?
ううん。
「大人の言葉」を使って、何か大切なことを誤魔化そうとしてませんか?
わからないからって、気付かれないからって、
大人はそうやって、子供にわからない言葉で上手に都合よく誤魔化して、
……それを大人だっていうのなら、僕は大人であることを呪いたい。

そうだな。
もっとバカでありたいよ。
金にならないことを力いっぱい頑張れて、
他人のために泣けて、笑って、喜べるくらいのバカにさ。
人を遠ざけて、傷つけて、悲しませるだけの賢さなんて、いらない。
ただ僕は、手を繋いで一緒に歩ければ、それで幸せだと思う。

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09 , 18
サンホラ聞きまくり。
特に歌詞に注目しながら、
何度目かわからない思考プロセスを展開中。
「詩」に込められた伝言(メッサージュ)は、
時として見た目どおりではなく、その反対側を表したりもする。

人は何ゆえ、悲劇を好むのか。
笑っていられる世界のほうが、きっと幸せだろうに。
悲しみは不安と恐怖を招き、あらぬ疑心を起こしかねない。
だというのに、人は悲劇を求め、望んで涙を求めていく。
それはとても矛盾していて、しかし。
重く苦しい悲しみを知るゆえに、
訪れる愛が、とてもとても大切なものに思えるのだろう。

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09 , 17
詩。
固まった文章ではなく、久しぶりに詩を書こう。
短い言葉で、語れることは少ない。
けど、短いから、とても一つの言葉が大切なものになる。
何も見えてはいない。
だけど、見えないから感じられる。
さあ。
詩を口ずさもう。

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09 , 11
やや風邪気味。
窓あけっぱなしで寝るのもそろそろ限界か。
秋風様の御到来は南よりも遥かに早く、
虫の音が静々と、確実に過ぎ行く夏を彩っている。

今日も秋の長雨かと思いきや、
予想以上にキレイな夕陽がそこにあった。
ここしばらく見て居なかった斜陽の朱。
思わず口をついたあの歌に、懐かしい時を思い出す。

 ← なので歌った。
passはいつもの。あえて書かない。

欠けた歌だと自分で思う。
これは一人で歌うものじゃない。
二人で作るメロディだ。
幸いにして一人で女声パートまでこなしているが、
こんな不出来なものには満足のしようがない。
いくら上手くなっても、いくら声が出ていても。
所詮、月は月でしかなく、夕陽になれるわけはない。

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09 , 08
今の世の中は潔癖すぎる。
ちょっとでも傷んだものは食べずに捨て、
古臭くなったものはゴミに出し、
気に入らなくなった、あるいは気を害すものは処分する。
嘘を吐いたものは決して許さず、村八分にし、迫害する。
罪を負ったものは不浄だから輪の中にいれず、隔離し、浄化の炎で焼き払う。
おいおい。
前にも書いたが「魔女狩り」みたいじゃないかよ。

カトリック的には、人は生まれつき7つの原罪を持って生まれてくるという。
「傲慢・憤怒・怠惰・強欲・暴食・色欲・嫉妬」
成長した人間ならば誰もが持つ人間の弱さだ。
僕は現状、その全部の罪を犯している自信がある。
バランス的には傲慢、怠惰、色欲がAランク。
強欲、嫉妬がBで、憤怒、暴食がC。
全くもってひどいものだと自嘲する。

もっとも、こんな人として当たり前の機能を「罪」だと言われてしまったら、
恐らくは聖女や神の子と呼ばれる人以外は皆、神に赦しを請わなくてはいけない。
冗談も程ほどに。
そこまで神さまに頭下げてるような生き様はとても美味しくない。

だが、この7つの原罪を当然のものと思い、甘受し、自惚れ始めたら、
恐らくは、創世記の示すよう、あるいは歴史のループが示すように、
ヒトは大洪水で全て流されるか、権力象徴の傲慢な世界を滅ぼされるか、
それとも皆が神の火に焼かれて塩の柱にされてしまうかするに違いない。
というより。
もうその兆候は随分と現れているんだがな。

(めちゃくちゃ長いので続きに収納しました)


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09 , 05
安倍内閣で大臣が次々と変わっていく問題。
不正があったり、不適切な発言をしたり、まあ、様々あるわけだが、
実際、やっていることは「魔女狩り」だ。
少しでも悪いことがあれば異端として排斥し、
悪い点が全くなくなるまでそれを繰り返すふるい落とし。
そうしなくてはいけない部分が確かに今の内閣にはあり、
僕もそうすべきだとは思うのだが、
だからと言って、その風潮を国民生活にまで広げるのは危ない。
離婚の理由、会社での不和、友情のほつれ、家族の崩壊。
その流れやシステムは、今の内閣に向けるものと何も変わらない。

「悪い点があった」→「辞めさせる/別れる/終わる/捨てる」

それはなんというか、残酷というより、冷徹。
フリーター身分をしていると特にこれは痛切に感じるわけだが、
「人」の使い捨てを平然と出来るのが今の世の中だ。
これはもちろん、仕事のことだけじゃなく、人と人が繋がる全てで言える。
次々と続く離婚、シングルマザー。
切り捨てられる要介護の老人。
使い捨ての派遣社員、アルバイト、パート。
一つミスがあればクビを切られる社長、役員。
警察沙汰にされるのが怖くて誰もなりたがらない産婦人科医。
どれもこれも、冷徹なシステムが招いている悲劇だ。
そのシステムをなんと呼ぶか。
僕はシンプルに、ロマン溢れる言葉でこう言おう。

「愛が無い」

どこもかしこも愛なんてものを持ち合わせていない。
「消費文化の究極点がここなのか」
といわんばかりに次々と捨てて、新しいものに挿げ替える。
人は人として機能するのではなく、
何かの役割を持ったシステムとしてしか扱われていない。
それが友達だろうが、恋人だろうが、長年世話になった上司だろうが、
今の社会においては一切の区別なく、
「ダメになったら捨てればいい」
という認識のもとで、すぐに処分されるように社会が出来ている。
これは被害妄想でも皮肉溢れる社会風刺でもなんでもない。
疑いようのない事実だ。

世界的に見ても、消費文化をまい進する国ほどそのシステムは顕著に現れる。
本来ならば、物質文化が豊かになればなるだけ、
精神文化を豊かにする余裕が出来るはずだが、
「機能性」を重視した先進国のビジネス精神論ばかりが横行して、
その逆位置にある「融和性」を重視する宗教論が非常に衰退している。
そのため、「使う側」はより機能的になり、平気で人を切る。
一方で「使われる側」は救いを求めて幻想や宗教にまい進する。
そういう分裂した社会構造だから、いまや歯止めが効かないのだ。

ところでドストエフスキーのカラマーゾフが最近流行っているようだが、
僕はやはり「罪と罰」が好きだ。
話をばっさり切って説明すれば、
「宝石商のばーさんを強盗殺人の上、目撃者まで殺した残虐な大学生が、
 えらい不幸な娼婦の女の子に同情して、手持ちの金を全部渡す、
 矛盾しまくりで、しかし人間くせえ話」
というものだが、この中で語られるテーマの究極は、
「人の道として罪を赦す」「法の下で罰を受けよ」
この2点。
べらぼうに当たり前のことのように聞こえるが、
今の世間で問われているのは「法の下で罰を受けよ」というそれだけだ。
「人の道として罪を赦」せる人がどれほどいないか。
全てはテレビの向こうにいる人は他人のことだから、
安易に「やめてしまえ」「死刑でいい」と平然と言えるが、
これが身の回りに返った時の事を考えれば、果たして同じことがいえるだろうか?

自分がミスをしでかしたら自分可愛さからそんなことはいえないだろう。
なので例としてあげるのは、
「もし、あなたの友人・恋人・親兄弟が何かミスをして、
 あなた自身にも何らかの損害があるとしたとき、あなたはどうする?」

という風に問おう。
捨てますか? 切りますか? 辞めますか? 終わりますか?
そりゃまあ、借金作って保証人云々っていうんだったら逃げてもいいかも知れない。
金の切れ目は、とも言う。
なら、金が絡まなかったら? ただメンタル的にムカつくとかその程度なら?
それでも切りますか? 捨てますか?

確かに人間関係ってのは、ある程度ビジネスの要素を含んではいる。
この人とならメリットあるし、あの人はデメリットしかない、とか。
けれど、デメリットがあるから捨てる、を繰り返していたら、
いつか本当に誰もいなくなるに決まってる。
自分に都合のいい人なんてのは幻想の中にしかいない。
それこそ王子様、お姫様。
そんなメリットだらけの象徴は、どこを探したっているわけがないのだ。
だからこそ、妥協とかいう言葉が流行ってたりもするわけだが、
ふざけるな、と僕は言いたい。
妥協? 違うぞバカ。
そんな上目線な立場でいるから利己的なのだ。
大切なのは「罪を赦せるかどうか」。
即ち、相手の欠点や失敗を許せるかどうかということなのだ。

今の社会では、一度、二度の失敗の先はもうない。
下手をすれば1ミスで即アウトだ。
けれどそれは、出来れば政治とビジネスの世界だけであってほしい。
非ビジネスの付き合いまで、そんなシビアなシステムがあっちゃいけない。
いけないのだ。
誰もが罪を赦し合えなくなったら、その先にあるのは孤立と競争、支配と服従だけだ。
そんな過酷な生存競争だけが人間の社会なのか?
本当にそれでいいのか?

「心にダムはないのかい?」
と懐かしのドラマから引き出したいほど、今、社会は殺伐としている。
元はダムがあった人でさえ干上がってしまうほど、乾いている。
けれども心の潤いは、一人でいれば余計に失われていくものだ。
そして、誰かから奪えるものでさえない。
潤いは、自らの心から湧き出すもの。
誰かに「与えたい」と思う心から湧き出すものだ。
歌は誰かに聞かせるもので、手紙は誰かに届けるもので、
そして、愛は誰かに与えるものだ。
このプロセスを忘れた時、人は奪うことでしか潤いを満たせなくなる。
アニマスピリチア。
マクロス7が懐かしくなるプロセスだ。

そういやマクロスは25周年らしい。
マクロス7のリカバージャケットも発売されるとか。
アレは僕の青春の一つなので心が燃ゆる。
俺の歌を聞けェ! の名調子は今でも心を振るわせる。
あれがソウルか。あれが心か。
そしてあれが歌なのか。
懐かしい。

これから先も、まだ誰もが赦しあえない時代は続くのかも知れない。
けれど、いつかは理解し合える時代がくることを望む。
この世界は、そういう繰り返しで繋がってきたのだから。

09 , 02
青森・函館間に高速フェリーが就航したということで、兄と二人で見物に。
形状は双胴型のホバータイプ。真ん中が完全に空洞なのはすごい。
最大船速36ノットまで出るらしい。
函館まで1時間45分。
日に4本の便のうち、10時→11時45分でいけるのは非常にいい。
運賃は人間だけならそこそこ安いが、車を積むとやはり高い。
けれども、青函トンネルを突っ走ったり、
通常フェリーを使うよりは、よっぽど安くて速いはず。
北海道が割と近くになったような気がした。

……もっとも、函館には当分行く勇気がない。
手段としてはcanであっても、気持ちの上では全てcan't.
あの街に残る思い出は果てしなく重い。
いつか行けるようになるだろうか?
答えはノーだ。
そこに行ってしまったら、”かつて”を全て夢であったと肯定してしまう。
あの幸いな記憶は決して夢じゃない。
否定しよう。記憶を過去へと変えていくもの全てを。ことごとく。


ドライブ車中で偶然流れたコレが心にヒット。
SPEEDの曲はどれ取ってもハズレがなさすぎる。
それだけ心に響いていたということか。素晴らしい。

しかし、もう11年前なんだよな、SPEEDがデビューしたのも。
解散してから何年だ……もうわからん。
浜崎やエロいだけの姉さんが看板張り始めてから、
もう今の音楽チャートには興味なんて全くもってサラサラない。
あの当時の「ソウル」は一体全体どこへ行ってしまったんだろう。



とりあえず、前のヤツの続き。
続き? 続いているのかどうかも怪しい。
少しずつ何かが変わっていくのかと思うけれど、
望んだとおりに変わっていくとは限らない。
1%の希望は、時として99%の絶望を抱えていくだけの甘い毒に過ぎず、
けれども反面「アリエナイ」を叶え得る絶対不可侵のサクセスでもある。
どちらにチップを重く載せるか。
僕は出来れば悲嘆の99%より、歓喜の1%に思いを馳せたい。


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