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閉鎖した世界。
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02 , 26
50枚の壁がある。
こっから先にいければ70~80まで進めるぞ、って感覚があるのだけれど、
悔しいことにこれまで築き上げてきた50枚の中身が不十分で、
また骨格を見直さなければいけない、という有様だ。
現状、53→45。
減った。
まだ期間はあるからと言っても、これはかなり由々しき事態だ。

何もないところに書き続けていくのはいい。
迷いなく、面白そうだなあと思ったことを書けばいいだけだから。
しかし、既に作り上げてしまったものを見直すというのは大変だ。
仕事をしていた時も思ったが、
「膨大なノルマをこなすことよりも、
 そのノルマの中からミスやエラーを探し出す方が難しい」
何が間違っていて、どこを直せばきちんと仕上がるのか。
これが出来なきゃ話にならないのだろう。

ノリやテンション、それと面白さだけでメシの種を作れるのはお笑い芸人だけだ。
ロジカルな商売に手ェ突っ込もうってんだから、間違いを見直す力がもっと欲しい。
噛み合わないもの。
おかしくなっているもの。
そういう違和感に敏感でありたいなあ、と最近焦りつつ思う。

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02 , 22
書けば書くほどに思い至る。
暫定的に本一冊分の終わりは見えているのだけれど、
そこから先をどこまで広げるのか、まだ思い至っていない。
書けば書くほどに最終的な着地点が遠ざかっていくような感覚があり、
もしかするとこれは、二冊分、三冊分では足りないのでは、という懸念がある。
つーか、そこまで書けなきゃ商業作家は目指せないか。

確か去年は今頃になって慌てて書き始めたはずで、
仕込んでいたネタの七割が最初の二十枚以内でボツになるという悲惨な有様だった。
書いては潰し、書いては潰し、それだけで期間は過ぎて、
締め切り当日になって手元にあったのは三十枚程度の、予定とは全くかけ離れたゴミの残骸だった。
書き始めが作れなければ、書き続けることなんて出来はしない。
そして、書き始めを妥協・納得出来ないのなら、そもそも作家業なんて向いていない。
去年の僕はそんなだった。

あれから一年。
目を見張るような成長があったかといえば、それにはノーと答えるわけだけれど、
やはり骨子の部分で少しばかりタフになったような気がする。
きっとそれは、どうしようもなく挫折した一年前の自分がいたからで、
そして、遠く離れた先に一生懸命に走る人の姿を見ていたからだ。
共に歩ければ幸せだと思っていたのが一年前。
今では、その背中を追うことにちょっとした幸せを感じる。

いつか――いや、早いうちに追いつかないといけない。
諦めないと、そう決めたのだから。

02 , 20
チェスを始めたら気がつくと朝だった。
こりゃひでえ。

将棋はやったことあったけどチェスはやったことがなかった。
名前もプレイ方式も幾度も聞いてはいながらに、
実際にプレイするとこれは難しいんだなー、と痛感する。

まず第一にナイトとクイーンがフリーダムすぎる。
第二に、将棋と違って「張る」ことが出来ない。
第三に、ポーンの軌道が使いづらい

慣れればどうってことないだろうが、
慣れるまで一体何百戦こなさなきゃならんのかなー、と遠く感じる。
そんだけ難しく、奥が深い。

http://chess.plala.jp/
こちらで入門から実践までやってくれる。
まあ、覚えたところでやっぱ勝てないんだけど。



昨今、新しいゲームはたくさん出てるし、その機能も相当充実してるはず。
なのだけど、このシンプルでありながら完成された軍略シュミレーションほどではない。
余計なものは一切なく、ひたすらに「戦うこと」のみに特化されたこのゲームは、
トランプと並んでゲームオブゲームの名に相応しい物の様に思えるのだ。

なんとか勝てるようになりたいなあ……。
合間を縫って修行しよう。

02 , 14
デパートの戦略で売り込まれてるチョコレートになど目もくれない。
落ち着け。
クールになれ。
毎年そうだろ。

「なにジョジョ? ダニーがおもちゃの鉄砲をくわえてはなさない?
 ジョジョ それは無理矢理 引き離そうとするからだよ
 逆に考えるんだ 「あげちゃってもいいさ」と考えるんだ」
                         ジョージ・ジョースター


そう、あげちゃってもいいさ、と考えるんだ。
問題はない、そう問題はどこにも。

作業だ、作業。
余所見してちゃいかんぜ。

02 , 09
思いたいが、忙しいのだろうなあ……。
宮崎あおい主演の大河ドラマ「篤姫」。
その破天荒ぶりは懐かしい人の気配を感じさせる。

個人的には、主人公お一(おかつ→後の篤姫)よりも、
彼女に振り回される肝付尚五郎役の瑛太くんが気になっている。
宮崎あおいと瑛太と言えば、僕の地元大館で撮った映画「好きだ」の主役コンビだ。
あの映画でもそうだったが、瑛太くんのどことなく頼りない雰囲気は、
僕のような男にとっては共感する部分がたくさんあって、実にいいと思った。

格好いいとは誰も言わない。
頼りがいがある、なんてことも思われたりしない。
けれど、弱く格好悪いがゆえに、「諦めない」という立場に辿り着く彼の生き様が、
やはり僕の胸を打って、響かせた。

全国の頼りない系の男子諸君には見てほしいドラマかもしれない。
まあ、最終的に尚五郎は篤姫と一緒になれない、ってなストーリーで結構辛いんだけどな?

02 , 09
ちょっとペース追いついてない気配。
まあ、焦るとろくなものが出来なくて、
逆に書いたものをつぶさなくちゃならなくなるので、
自分ペースでカリカリやってくしかない。

ねこ分が圧倒的に足りない。足りない。
もふもふしたい。なでなでしたい。
意味もなく写真におさめてやりたい。


さて、作業作業……。

02 , 07
時に相談を受けたりして、適切なアドバイスが出来ているかというと、実は甚だ疑問だ。
実は自分の考えを押し付けがましく突きつけて、
それを強要しているだけじゃないか、と思う時がある。
僕は以前にもそのことを注意されたことがあり、
それを思い返すたびに、自分の奢り昂ぶった思想とやらが情けなくなる。

自分が正しい、という確信は時に説得力を強める上でいい効果を発揮するけれども、
自分が正しい、という思い込みを強要すると、これまでの関係を壊しかねないほどの反発を受ける。
まだまだ未熟だ。
そもそもに「正しい」なんてことを感じる時点でダメなのだろう。
自分が取っている方法論はたくさんある中の「一つ」でしかないわけで、
他の人の方法論が仮に効率的でなかったとしても、ケチをつける問題ではないわけだ。
そこにあるのは「やり方」「考え方」が違うという、差異のみ。

一昔前では正しかったことが、今現在では間違いになっていることだってある。
言葉の使い方だとか、電話の礼儀とか。
時が過ぎれば自分の考えだって間違いになる。
それならば、もしかすると口にしてしまった時点でもう、間違いになることは始まっているのかも知れない。
だから。
あらかじめ、自分の言葉に間違いがあることを確信する勇気が必要だ。

……振り返らず、筆を進めよう。
イチイチ間違いを直していたんでは前に進まれない。

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