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閉鎖した世界。
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10 , 29
1万円拾った。

警察署に届けた。

無論、葛藤はあった。

今よりもっと金がない時なら、ガメたと思う。

それでも、まだ譲れないだけの何かが自分の中にはあった。

それは、誇りと呼べるものだろうか?

1万円分で、僕は良心を買えただろうか。

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10 , 26
まだ英雄伝説6。

やばい。

何回泣かされたんだろ、これ一作に。
よくある話じゃん、と斜め見ることも出来るんだろうが、
もう、なんだろ、キャラ一人ひとりに掛かってくるストーリーが、
僕の感性のど真ん中ストレートをぶち抜いて展開されてくるので、
特に泣く必要のない場面ですら涙がダダ漏れで、この世界がなお愛しくなる。
まだクリアできてないんだけど。

これだけの傑作が世間的には埋もれたまま、っていうのが本当に惜しい。
ファルコム作品は昔から「一歩手前」で隠れてしまってて、
スクエニ、アトラス、その他諸々に比べると、表舞台に出て来難い。
コンシューマー向けではなく、PCユーザー向けに作ってるからだろう。
それが「コア」なものかと言えばそうではなく、
物凄くライトにポップに、莫大なストーリーとシステムを詰め込んでいる。
何でこんなに良かですか。

面白い。
とにかく最後までこの世界を眺めてみたい。
……まあ、3部作のうち、1作終えるのに大体40時間掛かってるわけで、
平均120時間プレイせんと終わらんとか、どんだけなのか考えたくもないが。
30分アニメをOP/ED/CM抜きで30クールは見れる量とかおかしすぎる。
しかしやばい……辞めるに辞められない。

10 , 24
「英雄伝説6 空の軌跡」を絶賛プレイ中。
何この神ゲー。
どうして今までこれに取っ付かなかったのか謎すぎる。
自分好みのストーリー、キャラクター、システム、曲、そしてバランス。
こんな良作があったのを知らなかったことが恥ずかしい。
「最近のゲームが面白くない」とか言ってたことを黒歴史にしてしまいたい。
つーか、しばらくそれ禁句にしよう。

×「最近のゲームが面白くない」
○「自分から面白いものを探そうとしていない」

そういうことなんじゃなかろうか。
あまりにも情報過多になってて、ぼーっとしててもこっちに面白いものがやって来るもんだから、
そこに甘えきってぬるま湯根性ついてしまってるのかなー、と。娯楽方面でも。
もっとハングリーにならんといかん気がしてきた。


で、英雄伝説。
話の筋はどことなくアーク・ザ・ラッド3部作を髣髴とさせる「王道系」。
主人公エステルが遊撃士(ブレイサー)として成長していく過程の裏側で、
国家をも揺るがす巨大な陰謀が渦巻いているという、正に英雄の叙事詩。
ゲームの性質上、たくさんの「クエスト」をこなすことになるのだが、
その全てがフラグメントとして散らばっていながら、全体に影響を及ぼしている。
話の細部から全体の根幹が少しずつ見えてくるこの感覚は、
ここ久しくなかっただけの「王道」感を味合わせてもらっている。

ぶっちゃけ、これやってしまうと現代系FFはやれなくなる。
安直なコマンドゲーから映像以外ほとんど進化していないFFと比べて、
こちらの進化は目覚しいだけ目覚しい。
自由度の高い、導力経路(クオーツ)による魔法(アーツ)習得システムと、
キャラ一人ひとりによって違う技巧(クラフト)を組み合わせた戦闘は、
若干面倒くさい部分もあるが、すごく楽しい。
キャラの立ち位置によっても戦況が左右されるので、戦略SLGとしての面白さもある。

まあ、そこらのこまごました部分を抜きにしても、
ストーリーをザラ読みするだけでワクワクしてくるこの感覚はやばい。
絶賛級の小説やマンガのシリーズものを、30冊くらい一気に読みまくってる感じ。
街の住人一人ひとりに名前があって、それぞれに物語を持ってるので、
ぶっちゃけ戦闘せんでも、お使いゲーとして遊ばせて貰うだけでも楽しい。
それだけキャラと筋書きに魅力があるので、ひたすらご飯が進んでくれる。

また、音楽は天下御免のファルコム製なので、神過ぎてヤバイ。
イースシリーズの鳥肌級が平然とそこらに転がっているので、
普段、ヘッドフォンもBGMもなしでプレイしてる自分が、完全装着状態のままでいる。
これは聞かずにいられん。
すごく、もったいない。

何より恐ろしいのは、それらをきちんと統合しているバランス力。
ムラというものがない。
必ず綺麗に収まっていて、全体に調和している。
これだけギミックたくさん放り込んでおきながら、それでいて噛み合っているのは、
スタッフがどれだけ泪を飲んできたのかを感じさせる。
マジでこの安定感は尋常じゃない。

一つだけ欠点があるとすれば、

長い。ダレる。というか疲れる。

これまでRPGの欠陥として自分で述べてきた部分が露骨にある。
とかく、1プレイ辺りの時間がひたすら長く、
これ、3部まであるのか、と思うと気が遠くなる。
時間がない人にはとてもじゃないがオススメ出来ず、
かなりハングリーな人でなければ全部食べきることは出来ないだけの大物だ。
ファスト・イージーが定着してしまっている今のゲーム市場では、
確かに持てはやされ難い傾向がある作品だと言える。

もっとも、それはプレイヤー自身が「飽きっぽい」性格になってきてるだけなのかも。
一昔前とか、ゲーム内の全語句、全事象を辞書にしてみようとか考えてた僕が、
今では単にクリアするだけでヒイヒイ言ってるような有様だしなあ。

「好き」という気持ちが軽くなってきたのだろうか?
熱中して、没頭して、骨の髄までしゃぶり尽くす勢いってのが、
今のファスト・イージー文化には馴染んでいかないのだろうか。
面白いってことは、心を動かされるってことで、それを感動という。
その対極にあるものは、不動ではなくて、流動かなーと思ってみる。
あまりにも時代の流れが速すぎて、感覚を得る間もなく、流れ去ってしまう。
それが今の時代のファスト・イージー感を作っているような。
それを正しく「流行」というのだろうと。

「流行の最先端」はもしかすると、バカにされるべき言葉かも知れない。
本当に良いものは流されることなく、残り続けていくものだから。
そういう意味で、英雄伝説というこの作品は残り続けて欲しい作品。
もっともっと、この世界を堪能してみたいなあと感じさせてくれる名作。
僕はそう感じた。


10 , 13
般若心経聞きすぎて手遅れになった。
何かこの溢れる般若心経を表現する手段がないかと思って考えたら、こうなっていた。

【ハンニャー状態】般若ーを電波ソングにしてみた
http://db6.voiceblog.jp/data/aquapalace/1255438553.mp3

<参考>


もうだめだ、寝よう。


10 , 13

久しぶりに脳に末期感を感じた。
こんな埋没してる動画なのに、何故かリピートがやめられない。
もしかして仏教入りしたいのか自分。


これにハマるのは素直にわかるんだけど。

10 , 11
大事な約束の日付を一日間違えるとか……死にたいorz

ここで自棄的になったり、自虐的になったりしても、
何も解決しないばかりか、むしろ余計に悪いことになるので、
とにかく最善のフォローがどういうものか、きちんと考えよう。

自分が悪かった、は当たり前の大前提でしかない。
そんなこと理解してるのが当然で、謝ることはポーズにもならない。
失敗は平謝りするものじゃなく、フォローするものだと前の職場で教わった。
きちんと失った分を弁済しよう。
失った信頼は取り戻せないものだとしても。

10 , 11
世の中には二種類の勝者がいる。
一つは努力を積み重ねて、堅実に成長を遂げる者。
もう一つは世の仕組みを見極めて、効率良く成果を上げるもの。

しかし、その外側に本来あるはずのない勝者がいる。それは、
「非効率的方法論で、かつ成長を封じ込め、
 それでいて世の仕組みを利用して何とかするもの」

人、それを縛りプレイと言う。





というわけで、最近のハマりはロマサガ縛りプレイ動画。
このテのプレイ動画は上級者向けすぎるので、素人には一切オススメできないものの、
その執念と謎の知識と入れ込み具合には感動を通り越して呆然を感じてしまう。
エミュとかTASとか万全の世の中で、あえてアナログで常識を打ち破るという、
多分、デジタル世代にとっては「どうせ加工されてんだろ」とか思われそうな、
そんな、実に無意味なプレイ動画である。

しかし、彼らに対して僕はこう賞賛の言葉を送ろう。
「意味などなかったかも知れない。
 けれど、あなた方が残した一歩は月への一歩に等しい」


誰もが余裕しゃくしゃくでクリアしたと豪語しているゲームの数々が、
実は裏技やステカンストを前提にしたものだったということに気付かされるこれらの動画。
人それぞれ、プレイスタイルはあるとは言うものの、
既に完成形である市販ゲームを、自分流に新しくルール決めて遊びなおすというのは、
ある意味で、本来の「ゲーム」のあり方を見せてくれているような気がする。

トランプには53枚のカードがあるだけで、そこにルールを決めたのはあくまでもプレイヤーだ。
ビリヤードにしても、サッカーにしても、バスケットにしても、
遊ぶ機材がそこにあるだけで、ルールは人数や相手のレベルによって随分変わる。
海外では割と共通認識なのかも知れないが、前提として、
「ルールは遊ぶ側で作るもの」
というのが、本来当たり前なんじゃないだろうか、と仮説立ててみる。

かつてTRPGが全盛期の頃は、データブックとシステムブック、
それにリプレイ集やサンプルを載せた雑誌があったくらいで、
実際にTRPGをプレイする人達は、自分たちでキャラを作り、シナリオを作り、
そいでもって、ゲームマスターはそこら辺コミでプレイヤーをいじめたり、楽しませたりした。
デジタルなんて一つもなかったので、ルールもプレイ方針も、全部人間が決めていた。

現在、ゲームは人が作ったものをクリアするもの、と確定されている。
市場の多くがそういう形式にハマり、一回遊んだらそれっきり、というのが常道になった。
市場での業績を考えれば、常に買い替えて貰った方がいいのだろうが、
需要が出る前に過剰な供給をする今のシステムは、プレイヤーに飽和感を与え続けている。
新しいものが出るたびお金は出費するのに、何か面白くないな、と言われるのは、
要するに、新しいものが必ずしも面白いわけではないという皮肉でしかない。
自分的には、絵が綺麗になったとか、音楽がいいとか、そういうのは付帯要素であって、
ゲームとして面白いかどうかで言ったら、昔のゲームのが頑張ってたと思う。

それに逆行するのが縛りプレイや一人旅と言った、自分ルールでの遊び方。
これまでは、そういうプレイをしても自己満足で終わっていたかも知れないが、
ニコニコの普及によって、既存ゲームにルールを作って遊ぶということが、
新しい遊びのスタイルを提供する方法となりつつある。

縛りプレイは単にマゾ係数を見せたいだけのものではない。
そういう遊び方もあるのだよ、という提案の一つだと僕は思っている。
同時に、新しいゲームを開発する上での<制限>の提案形としても面白い。
ただ漫然とレベル上げてクリアするのではなく、
装備やシステムを理解し、知恵と経験をフル活用して、真のクリアが出来るような、
そういうゲームを作る上で、これらはその筋道を綺麗に見せてくれている。

実際、ロマサガ3とドラクエ3で一人旅プレイをしてみたのだが、
ゲームの仕組みを知らずに、単にレベルだけ上げてプレイしてたのでは、どうやっても詰む。
ドラクエだと、無限再生できるもんで、
「おお 勇者が死んでしまうとは 何事だ」
とか王様に罵られる程度で命無限に買えるから、何とかゾーマ撃破できたものの、
ロマサガの詰みっぷりはやばい。
装備考えないと死ぬ、技閃かないと死ぬ、技見切らないと死ぬ、技決まっても死ぬ。
とにかく、一人で旅するというそれだけで十分にハイリスク過ぎて死ぬ。
元々5人連携プレイ前提なのだから当然すぎる。

無論、裏技やある種の法則さえ知っていればゲームバランスが崩壊するので、
一人でも余裕しゃくしゃくでクリア出来るようになるわけなのだが、
動画のうp主さん達はそれすら当然のように封じ込めてプレイなさる。
何という荒行。

未だにSFCを実況プレイしたものがニコニコのランキングを席巻しているのは、
やはり、そういうものに需要があるから、と考えるのが筋だろう。
実況が面白いのもそうかも知れないが、SFCが面白かったのも事実なのだ。
絵や音楽でなく、システムで勝負していたあの当時。
PSやセガサターンが登場する中でも、SFCで勝負が出来ていたという事実が確かにある。
もはや過去の遺物になってしまったかも知れないが、
あの小容量に詰め込まれた社運や全力を考えると、
そこにはゲームとして凝縮されたエッセンスがあるように思う。

とりあえずだな、スクエニはサガ2ではなくロマサガ2のリメイクをだな(ry
帝国猟兵(♀)が華麗に舞う姿をさっさと見せようとは思わないのかね。
なお、\アリだー!/は発言禁止とする。

10 , 10
「自分の考え出した”これはいける”とかいう発想なんて、
 既に自分が生まれる前に世界が通り過ぎてる場所だった」

なんてことは、よくあることで、
むしろ何か一つ調べれば調べるほど、自分の狭量を知ってしまう。
井の中の蛙、大海を~ とかいうレベルじゃない。
蛙と同じ井戸に住んでる微生物レベルで、何も判っていないんだと知る。

一つ思い出したのは、
「制限」というのは面白さを作るバロメーターだってこと。
「制限=ルール=法」と置き換えることが出来るかな。
無法も無法で面白いんだけど、それは破れない法を破るから面白いのであって、
最初から無法ってんじゃ、面白いことなんて一つもない。

昨今、ゲームの制限プレイ動画が流行って来てるのは、これに気付いた人多いからだと思う。
昨今のメーカーさんは「普通にクリアできるレベル」で出荷して来た上で、
それに遊び心入ると「LUNATICな隠し面導入」みたいな、加算式の制限掛けてくるけど、
むしろ、発想逆の方が絶対に面白いなーって思う。

減算式の制限
つまり、それまで普通にクリア出来ると豪語していたものが、急に普通じゃなくなる系。
これが自分的に面白いんじゃないかなーと。
しかもメーカーのデフォ設計に欲しい。
たとえばRPGだとこんなカンジで。

「仲間? 残念ながら誰も協力できません。大金で雇うといいでしょう」
「死んでも復活できる? 何を寝ぼけたことを。死ぬがよい」
「お店の商品に限りがあるのは当たり前じゃないか。(ただし転売・交易は出来る)」
「モンスターがお金落とすわけないだろ!」
「野生動物の虐殺でレベル上げとか残酷なので、悪行値を採用。キルカウント=評価減少」
「プレイタイム=ゲーム内時間を前提に、30時間以内にクリアしないと世界崩壊」

これ全部採用したらクリアするのに気が狂うので、ランダムで3つとか。
欲を言えば、全世界共通通貨とか腹立つので、国跨ぐといきなり貨幣価値減少とか面白い。
日本スタートだったら国外マップに行けば行くほど有利というセレブシステム……っ!

あとはトルネコ並の空腹ゲージを採用したりとか。
ゲーム時間にして1時間=1日としたら、
20分で一食抜き、1時間で絶食、3時間もすれば悲鳴もので、
プレイ中、何も飲まず食わずで頑張れるのはイスラム系か仏教系の主人公のみ。
ただしステータスが瞑想状態か病気になっていて、常に瀕死
おかげで、ラストダンジョンでの死亡原因が餓死とかザラになりそう。

以前プレイした「雪道」とか、「洞窟物語」を思い出すと、
2周目を加算式制限で「かかってこいよ」的に強大なものを取り出しておいて、
3周目で減算式制限を掛けて、タイムアタック風のシビアな活動制限を楽しませていた。

思い返せば、Fateもなぜ三部作だったのか、急に鮮明に理解できる。
1周目は全部揃った状態の、パーフェクト衛宮士郎で戦えて、
2周目が一時的にサーバントなし。(ただしUBWと言う隠し武器開放)
3周目に至ってはサーバントなし、UBWにも制限付き、ついでに裏ボス3連戦。
周回プレイで徐々に士郎が厳しい状態に追いやられて、
見てる側を「いけるのか?」的な気分にさせていたのは、こういうギミックだったらしい。

経験を積めば積むほど強くなり、賢くなるのが人間の常とはいえ、
時間無制限に強くなれるというのは、実に素敵なハンディキャップを貰ってると思う。
ラスボス前のレベル上げとかえらい悠長だよね。
ロールプレイングという観点から見たら、それはロール(演劇)にリアリティがない。
きっと、ドラクエ、FFが作ってきた伝統に従って今のゲーム業界があるから、
それの良し悪しを考慮せずに丸写しになってきたのかなあ、と思う。
何となく、そこらへんのシステムはまだまだ飛躍できる気がする。

10 , 07
とか今日の占いに書いてた割に、
何で自分60km近くチャリで走ってんだよと。
脳内に何か獣が住んでたに違いない。
行きはアドレナリン出まくってたんだけど、
帰りはノルアドレナリン出まくってうあーみたいな。

唐突に思い立ったことって大体ろくでもないんだけど、
やってる最中はえらい楽しいのが困りモノ。
きっと明日筋肉痛なんだろうけど、そういうリスク無視で頑張れるって最近ない感覚。
もっとノーガードで色々やるべきか。
もっと出費無視でガバガバ行くべきか。
とりあえず、今日のテーマは「やり遂げる」で。

10 , 06
「RPGにレベルアップ制度は必要ですか?」
http://yamanashirei.blog86.fc2.com/blog-entry-1012.html

上の記事を読んで、概ねというか物凄く同感。
自分も以前から何度か考察してきたものの、これほど的確な回答はない気がする。
むしろ、製作サイドはこの辺考えてものづくりしてるのか心配。
伝統とか既存の常識に従って作ってるだけなんじゃないかと。

最近のRPGのスタイルは上の記事でも述べられている通り、
序盤にガツガツレベルを上げて、ボスとか楽勝に殴り飛ばしていく、
問答無用の作業ゲースタイルがメジャーになってる気がする。
MMOなどの狩りゲーがそれなので、RPGも同様に、みたいな。
とにかくキャラを鍛えるのが目的化していて、ゲームを進めることはオマケになってたりする。

RPGにおいて「主人公」がやたら強い理由は、その際限のない成長力にある。
たとえスライムだろうが何万匹と虐殺すればアリアハンでLv99になるように、
彼らの成長力は、命を奪った数だけ強くなるという大変猟奇的なものだ。
サガシリーズなどは味方が強くなればなるほど、
敵シンボルも同時に強くなるシステムを導入しているけれども、
いずれ作業化した戦闘をこなさなければいけない場面に遭遇する。

むしろ型破りに、戦闘では一切成長しない主人公を、いかにして強くするかみたいな、
そういうゲームがあったら絶対面白いと思うんだよなー。
と言ってもモンハン的にプレイスキルを求められるようなものではなく、
ローグライクな一旦外出たら成長したことを忘れるものでもなく、
シンプルにコマンド型のゲームなのに、戦闘での乱獲作業が出来ないカンジの。
こうすることで、逃げることも戦術の一つになるし、効率的な戦い方を考える要素も生まれる。

戦争ってのは、すればするだけコストが掛かる。
それに見合うだけのメリットがあるから、人はそこに戦いを求めるものだ。
最初から、戦えばメリットが出る、ってなシステムでは、そりゃコツコツ戦うわなあ。

あー、そういえばアトリエ系の古いものが面白いのはそこにあるのかも知れない。
戦うことはオマケであって、目的は研究のための材料集めという、
至極当然のスタイルをそこに構築していたっけ。
ホント、それでいいんだと思うんだけどなあ。
ドラクエとか、FFとか、最初から殴って殺すが前提になってるあたり、
どっちが魔王だ、って思うし。

戦うことは最終手段だと思うんだよなあ……。
それが最初から戦うこと前提なのは「死んでも蘇る」からなんだろう。
あと、セーブしてるから何度でもやり直せるってのもあるか。
そうじゃなくなったとしたら、やっぱ安全第一な主人公になるはず。
やはり問題は、その辺の生命観にあるのかも知れない。

10 , 06
http://www.4gamer.net/games/095/G009543/20091005007/
Son○は資本主義MAXなんで苦手意識バリバリなんだけど、
セガのこの誰得感はいつになっても変わらなくて、ホント好きだなあ。
ダイナマイト刑事を彷彿とさせる意味不明っぷり! なんという暴れん坊。
これが正しいゲームの作り方のような気がするんだけど、
もしかして僕の感性のほうが間違っているんだろうか。

いや、サル真似をしないこのフロンティアスピリッツこそセガらしさ。
誰もが王道走って共倒れする中で、邪道走って一人負けする潔さ。
こういうアウトローなものづくりって憧れるなー。
ちょっとどうなのセガの人?

10 , 05
作品へのレスポンスを生で感じていた数ヶ月前に比べると、
やはり、何かを書いていても、そこに上手くいっているのかどうかわからない、
不和の錯覚を覚え始めるようになる。
自分だけしかわからないことを延々書いているんじゃないかとか、
そもそも、何を伝えたいのかとか、憤ったり、迷ったり、悩んだり、
そんな感じで筆が止まったりとか。

やはり、誰かに読んで貰わないと感覚が出てこないのか。
面白いとか面白くないとか、そういうのを別にして、とにかく読まれないことには、
話は話にすらならず、書いているものは全てチラシの裏に等しい。

時間を掛けて書いたものが素晴らしいわけじゃない。
書いて伝えることの出来たものが、自分の全てだ。
どれだけいいことを書いたとしても、伝わらなかったら点数もつけられない。
つまり、伝えることに集中するのがまず第一なんだろうなあ。

自分の伝えたい中身を自分で知り、それを伝えたい人に伝え、第三者にも伝えていく。
その第一ステップから躓いているようでは話にならない。
毎日書いていけば、1mm程度でも変わっていけるだろうか。
僕は、やり遂げれる人に変わりたい。

10 , 04
自分はドリフターズ世代ではないので、自信を持って書けないのだけれども、
「8時だョ! 全員集合」
をリアルで見ていた世代というのは、テレビ最盛期だったんじゃないかなあと。
それってのはつまり、見る側と見せる側の需要と供給のバランスがジャストだったってことで、
正にテレビ黄金期と言われるのも納得してしまう。

ちなみに自分たちの世代で知っているのは、
「ドリフ大爆笑」(1978~2000/フジ製作)であって、「8時だョ! 全員集合」ではない。
まあ、その時代というのも、テレビ黄金期と言えばそうなのであるけれど、
若干ニュアンスは違うよなー、という気もする。

例えるなら、前述の「全員集合」(1969~1985/TBS製作)は、
テレビというメディアの青春期で、いわば子供騙しだった。
人生で最も華やかで、最も幼稚で、最も激しい時期。
同時に、視聴者のテレビを見る目も厳しくない時期で、子供騙しで十分だったと言える。

それは、大衆演劇や寄席、映画やサーカス、お祭りなどが現役であったからだろう。
「楽しい娯楽は外で見るもの」というのが当たり前の感覚の人達には、
自宅で気軽に家族揃って見ることの出来るテレビエンターテイメントは、
その当時からすると、画期的な発明だったに違いない。

とすれば、自分ら世代の「ドリフ大爆笑」はその子供が大人になった後の、青年期と言える。
第一次黄金期に培ったものをさらに引き伸ばし、そのまま大きくしていったのが、この時代。
ドリフ大爆笑のOPテーマにもそれは如実に現れる。

「ド・ド・ドリフの大爆笑~
兄さん姉さんパパにママ
じいちゃんばあちゃんお孫さん
そろったところで始めよう」


誰にでもわかる軽妙なテーマと、家族の誰にでも伝わるような笑いの提供を示したこの歌詞。
これこそが、いかりやさんを筆頭に築き上げてきた、ドリフの笑いの魂だった。
家族一同を笑わせる ←ここ重要
それはテーマというよりは事実として成り立っていた。
今のピン芸人が「お笑い好きのお客さんを笑わせるため」の芸しか出来ないのと違って、
ドリフターズは、容赦なくどんなお客さんでも笑わせるだけのことをしてきたのだ。

ただ、この頃から時代は激的に変化していく。
テレビで育った子供が、テレビで育った大人になり、
仕事と家庭、生活とテレビの関係が裏切られ始めるわけだ。
お父さんは残業、お母さんはその時間家事をしていて、見ているのは子供だけ。
おじいちゃん、おばあちゃんは別居していてそもそも家にいない。
そんな家庭環境(=核家族化)が広まり、ドリフビジョンの番組構成は崩れ始めてしまう。

その結果を反映するかのように、テレビの中心はエンターテイメントからドラマに移り、
お父さんの見たい番組を蹴散らして、娘とお母さんがドラマを見たり、その逆があったり、
テレビのチャンネルは奪い合うものへと変貌していく。
いわゆる、チャンネル戦争勃発である。
(この当時はまだビデオ技術が開拓期で、カセット1本も安くなかった。
 もっとも、奪いたいと思えるほど、テレビに魅力があったことも同時に言えるわけだが)

やがて、その戦争期が過ぎると、テレビを見ない時代が訪れ始める。
テレビは居間に一台、なんてイメージは根本から覆され、一人一台が当然になった。
豊かになったと言えば聞こえは良いが、文化的にこれほど貧しいことはないように思う。
かつて、映画を大勢で見ていた感覚や、祭りに皆で参加していた感覚は薄れ、
テレビはDVDと同じように、何時でも、何処でも、一人で見れるものになった。
だから、面白くなくなった、と僕は思う。

うちでは未だに、夕飯時には家族でテレビを見る習慣がある。
その大部分は地域ニュース、全国ニュースなのだけれども、
稀にそれ以外のものを一緒に見ているときは、やはり楽しいと感じる。
家族団欒(だんらん)というのは、こういう感じなんだなあと実感する。

テレビも、映画も、アニメも、小説も、ドラマも、ゲームも、携帯サイトもそう。
人の輪があって、それを話題に盛り上がれるからこそ、楽しいものになるのだ。
いくら楽しいものであったとしても、人がいなくなってしまうとその楽しさは激減する。
一人で笑うのと、みんなで笑うのでは、みんなで笑った方がいい。
欲しいのは自己満足ではなくて、笑っていられる空気なんじゃないかと、そう思う。

昭和というのは、戦後の何もない時代からの復興の歴史だ。
それは人と人とが協力し合って、盛り上がろうとしてきた時代とも言い換えれる。
今、豊かになって、人と人がバラバラに生きられるこの平成の時代を、
果たして平和と呼んでいいものだろうかと思ってみる。
何もなかった頃の方が、幸せだったんじゃないかと。

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