閉鎖した世界。
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07 , 02
http://mangazenkan.com/item/604.html

マンガ読んで感動するってのもずいぶんと久しぶり。
フケたせいか、それとも何だかんだと読み漁ったせいか、
「面白ェ!」と思わせるだけのものに出会うこともかなり減ってきた中で、
こうして「面白い……!」と思わせるだけのものが転がっていたことは、
本当にありがたいと思う。

米原秀幸氏のコミックを読むのは中学校以来。
「ウダウダやってるヒマはねェ!」「フルアヘッド!ココ」など、
強烈な画風と、雄々しい物語展開に惹かれて記憶に残っている作家だ。
その米原氏が昨年まで描き続けていたのが本作「Dämons(ダイモンズ)」である。

かつて友人と呼んだ5人の男に、
目の前で妻子を殺され、己の両腕をもぎ取られ、
それでも生きていたのだとしたら、その失意と殺意はいかほどか。
主人公「ヘイト」はその恨みと怒りを武器に変えて、復讐鬼となり果てる。

古来、復讐劇というのは、
どこかで人情めいた話を盛り込んで、その無意味さを諭すような場面があるのだが、
本作はブッちぎりで復讐にのみフォーカスをあわせた修羅の物語である。
作者自身も「全力で復讐劇を描いてみたかった」と言っており、
正に初志貫徹で、恨み節が募った作品となっていた。

ただ、復讐の最中でも、人間は成長していく。
ヘイトの復讐に特化した異能「ゼスモス」がその威力を増大するのに比例して、
ヘイト自身も、より精巧に、よりたくましく、復讐に特化した自我と自身を築き上げていくのだ。

心の強さが人の強さ。
それはどうしても道徳的な縛りを受けた言葉になってしまうのだが、
本作では非道徳(インモラル)な心の強さを、より特化させて強くなる人の姿を描いている。
その姿は正に悪魔。暴力と無法によって築き上げられた修羅である。

だが、悪魔とは果たしてどちらなのかな、と思う。
己の欲のために人を利用し、人を裏切る者も悪魔ならば、
その裏切り者を始末するためにあらゆる無法に手を染めるのも悪魔で。
ゆえに本作のタイトルが「Damon」ではなく「Damons」(複数形)なのかなと思う。

きっと世の中、悪魔だらけなのだろう。
聖母、聖人と呼べる人など、おおよそ巡り会うのも難しい。
その中で、人として生きていくにはどうしたらいいのか。
失敗をしない人などいない。
誰も傷つけずに生きていくことなど出来やしない。

ゆえに。
転んだら起き上がり、傷ついたらそれを癒し、間違えたら謝り、
そういう風にするのが、人としての生き方なのだろうか、と思う。
罪を懺悔し、告白する。
もう2000年以上も続けてきたその当たり前の行為を、
人間はもっと大事にしてもいいんじゃないかな、と考える。
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