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閉鎖した世界。
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08 , 27
インターネットが世に出回って、オンラインゲームが蔓延するようになり、
SNSなどのコミュニティサイトが社会を席巻するようになった昨今、
インターネット上における仮の自分「アバター」は、
意図しないうちに、その社会的地位を確立していた。
本来はゲームをしたり、オンラインコミュニティでの擬似体験をするための、
仮想のキャラクターのはずだったのだが、
その様相は、次第に現実的な侵食を始めていて、
現在、「アバター」は、本来の自分から乖離した、もう一人の自分を形成し始めている。
(と勝手に思い込んでいる)

というのも、自分の体験的な部分が大きい。
某動画で活動していた中で感じたことなのだけれども、
「やっているのは俺なのに、俺じゃない誰かを見られている」
という違和感が常々あった。
評価が良くなれば良くなるほどにその違和感は激増し、
最終的には、お前誰なんだよ、と思わざるを得なくなってしまっていた。

投稿者として活動する中でも、それなりに自己表現はしてきたつもりだった。
本来の自分とネット上の自分に差異がなるべく生じないようにしてきたはずだった。
しかし、長く続ければ続けるだけそんな甘いことは言ってられなくなり、
初見の思い込みが激しければ激しいほど、ベースの人格が無視されるようになっていた。
視聴者的に都合のいいビジョンを勝手に押し付けられるようになり、
その都合の良さに便乗していなければ逆に押し込められるような圧迫感があり、
何で自分、こんなことしているんだろう、という疑念が日に日に生じるようになっていた。

文章においては、作者と主人公とは乖離していて当然のものだ。
歌においても、歌詞の中の主人公と歌手とは合致しないものだし、
演技においても、舞台の中の主人公と役者は合致するはずのないものだ。
しかし、ネット上におけるアバターと、それが演じるキャラクターや歌い手は、
ちょうど微妙な点で密接に関わってしまっていて、
そう、初音ミクが仮初の人権を獲得したのと同じように、
HNや投稿者名が得たアバターは、仮想のキャラを視聴者が色づけして、
自分たちに都合のいいイメージをそこに与えることで認知されているわけで、
それはつまり、「本来の自分≠アバター」という不具合を生じさせることになる。

イメージが大切なんだ、と芸能活動では当たり前のように言われる。
アイドルを売っているのはその娘自身の素質ではなく、
その子を取り巻くイメージ、空気、雰囲気、印象、そういうもので売っている。
レッテルと思い込みで顧客の心を掴み、そこでようやく売り物になっているのだ。

が、同様のことが一般市民の中で行われるようになってしまった昨今、
自分とアバターの乖離症状に苦しむ人はかなり居るんじゃないかと思ってしまう。
なぜなら、アバターというのは「理想の自分」の姿だからだ。
オンラインゲーム上でレベル100を超える最強のキャラの持ち主が、
現実では引きこもりのネトゲヲタで、友人もいないというのはよくある話で、
オンライン上でのコミュニティ上で自己実現を果たしすぎている人ほど、
理想の自分と現実の自分の乖離が激しく進んでいるように思うのだ。
(自分含む)

怖いのは、それが乖離ではなく、分離してしまった瞬間だ。
理想の自分はネットの中にあり、現実の自分はその外側にいる、と思ってしまうこと。
理想と現実が、若干のズレで収まっているうちは可愛いのだ。
しかし、理想と現実が完全に食い違ってしまった場合、それは恐怖へと転化する。
理想の自分が望まれれば望まれるだけ、現実の自分を追い込んでしまう。

考えるのは自分。実際に頑張るのも自分。
しかし、結果を受け取るのは、自分ではない、もう一人の自分。
本来、客引きのために置いていたクマのぬいぐるみが持て囃されて、
頑張っている自分の方を向いてくれない、そんな錯覚。
良い自分を見せようとすればするほどに、その錯覚は強まっていく。

それは要するに、
良い自分(理想の自分)と悪い自分(現実の自分)が合致していないためなのだ。
良いも悪いもなく、自分が自分だと判っている人にこの症状は起きない。

http://homepage2.nifty.com/seisan/tomatotomeron.html
あいだみつをの詩で、トマトとメロン。
この詩で言う所のトマトとメロンは、環境の貧富を訴えているように思うのだけど、
現実と理想という風に捉えることも出来る。

何が悪いって、本来トマトである自分をメロンでパッケージングしてしまうことだ。
見栄え良く、それっぽくして、トマトなのにメロンで売ってしまうことだ。
普通なら、出来るはずもないのだが。

しかし、たまたまそれが売れてしまうのが、ネットという世界なのだ。
「現物を見ずにモノが買える」
そのいい加減な部分でやり取りをしてしまうから、
トマトなのにメロンだ、なんていうハリボテを許してしまえるわけである。

話を戻そう。
本当に怖いのは、それが無自覚だということ。
アバターを綺麗に可愛くコーディネイトしていることが、
気がつけば、自分とは別の自分を形成していることだとわからないということ。
つまり、鏡を見ることを忘れてしまうこと。
自分をメロンだと思いこんでしまって、トマトの自分を受け入れられなくなること。

だから、そこで変なギャップが生まれてしまう。
出来るはずもないのに出来ると思い込んだり、
格好悪いのに格好いいと思い込んだり、
本来自分では持っていないはずのものを、持っているような気がしたり、
とにかく、ひどい。
評価を受けているのはあくまでアバターなのであって、
それをパソコンの外側に持ち出せないのだということを、
全く理解できないまま、苦しんでしまう。

ゲームならね、マシなんだけど。
創作活動っていう、なまじ自己表現が被る部分でそれがあると、
「アバター=自分」って思ってしまうのも無理がないと思う。
しかし、現実は「アバター≠自分」。
どんなに良い評価を受けたとしても、それはアバターのもの。
理想の身体を手に入れた、電子上の自分の姿でしかない。

何だかんだと十年以上もパソコンに触れていると、
その錯覚に対して鈍化してしまうのが避けられない。
もしかすると、若い子の方がこの強烈な違和感に適合しているのかも。
自分を綺麗に使い分けれる子の方が、きっとマシなんだろう。

しかしオッサンになったなあ、と鏡を見るたび思う。
まあ、これも現実。
そのみすぼらしさを受け入れて、自分を考え直していこう。
どれだけいい魔法を掛けたとしても、カボチャの馬車は元々カボチャ。
シンデレラは灰かぶりの娘に過ぎない。
灰かぶり娘の美しさは、その心の有り様だったのだから、
それをきちんと思い出せるよう、努力していこう。
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