閉鎖した世界。
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08 , 28
20世紀少年第三章の公開を明日に控え、
以前テレビで録っておいた第一章を見直してみた。
何せ、今夜は第二章のテレビ放送。
見ようというのであれば、復習には余念がない。

20世紀少年は映画拒絶主義の俺が取っ付いた数少ない映画だ。
流行りモノには何とやら、というのではなく、
「あ、これは見てみたいな」と素直に思って見にいけた。
ここ数年のうちに、食わず嫌いが加速しまくっていた中で、
本当に珍しく、映画を連日見に行って、次回作を期待して、
原作をマン喫で読破するまで帰れなかった、なんてレアな体験をしている。
パンフレットはそういえば買っていない。

衝動で思わず突き動かされる経験なんて本当に珍しい。
そんな感触、もう鈍るだけ鈍ってしまっているのに、どうしたものか。
恐らくは、それだけ自分にとって必要なものがそこにあるからなのだと思う。

曰く、
本当に必要なものは、向こうからやって来る。


子供の夢を守りたい、と思う人は世にいくらでもいると思うけれど、
それなら、大人の夢は守られているのだろうか、と疑問を提唱してみたい。
本作は、どちらかと言えば大人の夢を守ろうとした作品だ。
今、大人になった自分や、あるいは同じ世代の人たちで、
夢をきちんと見ていられる人はどれだけいるかわからない。
ただ、少なからず社会の中にその鬱憤が溜まりつつあることだけは確かで、
この閉塞的な夢の墓場のような空気が、それを証明している。

未来とは目標のこと。
そして、その目標を指し示す誰かが、今いるだろうか?
こんな未来がいい、あんな未来がいい。
ドラえもんのうたをバカにしてはいけない。
こんなこといいな、できたらいいな、を果たして今、思い描いている?

そもそもに、不便のない現代に何の不満があるというのか。
だから、不満がないという不満が溜まっていく。
それは逆説的に捉えれば、前進するためのエネルギーがない、という不満だ。
不満とクレーム、問題点は、より良い何かを生み出すための原動力だから。

宇宙旅行に行きたい、と思っている人間は、実際それほどいない。
巨大ロボットを動かしたい、と思っている子供も、実際それほどいない。
ただ、そういうものがあったらいいな、と思っている人はそこそこいるけれど、
実際に、そういうものを作って誰かが得をするのか、と言ったら疑問が残る。

つまり、そんなものはいらなかった。
逆に、今のままがいい、という理不尽な未来を、皆が望んでいる。
それが今の社会を、この十年を作ってきたのではないだろうか?


20世紀少年では、そういう部分に目が行くように作品を描いている。
未来予想図のあり方、未来予想図の重要性、そしてその思い込みのベクトル。
どうあるべきなのか、浦沢先生は確かに描いている。

第二章を見終わったとき、俺は釈然としない衝動に拳を握り締めていた。
何が何だかわからないけれど、悔しいという思いに駆られて、歯軋りもしていた。
それはきっと、自分のことを笑われているようだったし、
このグータラな社会のことを笑われているようだったからだろう。
人間には、もっと前を向いて進む力があるはずなのだ。


ただ、恐ろしい。
今このタイミングというのは、選挙が被る。
民主党が政権交代を訴え、ただその変化・革新という部分にだけ光が当たっている。
時代は、変化と革新を求めているけれど、草の根から湧き出したものとは違う。
変化を求める民意を、民主党の幹部が利用しようとしているだけに過ぎない。
政権を取るための道具として、俺たちの民意を利用しようとしているに過ぎないのだ。

本当に、国民がこの国を変えたいと思うのなら、
たまたま都合よく「国民のため」だとか抜かす、お偉いのボンボンにそれを言わせるんじゃなく、
烏合の衆みたいな国民が、一致団結して政権を奪い取ってみせればいい。
タイでは空港を占拠して、それを実現してみせた。
なぜ、日本ではそれが出来ないんだと思う。

革命は、常に民衆が雪崩のように押し寄せて、祭のように、激しい勢いを持って行われる。
今回の選挙に、果たしてそれはあるのか?
行き場のないエネルギーを、ただ都合のいい方に丸投げしていないか?
20世紀少年という作品には、それをきちんと見出すためのエッセンスが溢れている。
どうか、この社会が正しいほうへ導かれていきますように。
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