閉鎖した世界。
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09 , 02
獣の奏者の文庫版を読み終え、
その日のうちにどうしても続きが読みたくなって、
ハードカバーの探求編、完結編を買ってしまった。
我ながら、珍しいほどの衝動買い。
それだけこの物語は、吸い込まれるほどに美しく、壮絶だった。

ネタバレになるので内容こそ伏せるものの、
闘蛇編、王獣編で描かれていたような、素朴で一生懸命なエリンの物語と違い、
後期は、子供にアニメで見せるには、あまりにも重たいテーマを孕んでいる。
大人になり、自分も母になったエリンの見る世界は、
子供の頃の純粋な知的衝動と、素朴な美しさだけでは描けない。
大人の黒い思惑や、社会の理不尽さ、政治の難しさなど、
今の社会それ自体が抱えている病そのものを指摘されているようだった。
とてもファンタジーで、この世界は実に歪に描かれているのに、
それはどう見ても今の日本と世界とを描く関係図に見えてくるのだから不思議だ。
もしかすると、それは俺が余計なことを学んだ大人だからなのかも知れないけれど。

読んで良かった、と本気で感じる。
麻痺していた脳細胞が、確実に動き出した。
生きるということが、漠然としたものではなく、動物として定められたものだと思い出した。
自分を取り巻く環境が、どれだけ歪なものなのかも痛感した。
人と獣、その両方の成長を対比的に描き取っていく上橋先生の、
この長大な大河の織り成し方は、実に見事だった。
狭かった自分の世界が、ほんの少し、広がったように錯覚した。


獣は生きることに疑問を覚えない。
ただ生きるために率直で、感覚での正しさに正直だ。
他を害することにためらうこともない。
生きるということに全力だから。

一方で人は歪だ。
ただ生きているだけなのに、
思い悩み、葛藤し、自分から生きることを辞めようともする。
流動する常識に囚われて、人との違いから正しい判断を抱くことも出来ず、
競い、争い、逃げ、落ち込み、誰かを傷つけては苦しむ。
知性が邪魔をして、生きることすら困難にさせる。

そして、最大の違いは、言葉だ。
獣は言葉がなくても群れを成して生きていける。
(正確には、5W1Hを使わない単純なレベルのものなら、
 イヌやネコでも音と固有名詞を合致させて、会話らしいことはできる)
一方で人は、言葉を繰り、5W1Hを埋めなければ、相手の気持ちがわからない。
特に、「なんで?」を問わないと、相手の気持ちがわからない。

獣だったのなら、言葉による理由よりも、感情と意思を推し量り、
相手が敵意を持っているのか、優しくしてくれるのか、
そこを単純化して捉えるため、もっと素直に生きていける。
人はそう出来ない。
利害があり、生まれた環境があり、覚えた知識があり、伝え聞いた経験がある。
常識という名で括られたその法則性は、人それぞれによって違い、
その違いをきちんと埋めるためには、幾百、幾千の時間と言葉を要するのだ。
こればかりは、避け様のない、群れと生きるための、業。

時代が進み、知識が皆に平等に配られれば配られるほど、
人はその暮らしや環境だけでなく、感覚の違いや意識の違いまで掲げ、
簡単な群れを作ることさえも出来なくなりつつある。
本能や直感という部分がどんどん鈍くなり、理屈と言葉が権威を強めている。
多くのことを上手に語れる人間ほど、群れを作るのに秀で、その長に相応しい。
人の世は、いつ、どこでも、そういう風に出来てきた。

少子高齢化の問題や、国政の歪み、生物としてのヒトのあり方。
それら全てを凝縮して描き取ったこの作品を、俺は人生の目印として大事にしよう。
この位置まで辿り着いた作品は、今のところ、数少ない。
こういうものが書けるようになりたい。
人の世界だけに縛られずに、もっと広い世界の有様を描いてみたい。

人はもっと、人以外のものを知らなければいけないのだろう。
蟻の世界、魚の世界、人に飼われたものでない、純粋な獣の世界の成り立ちを。
そこに本来あるべき姿があるような気がしてならない。
どこまでヒトが歪な社会を作り上げてきたのか、考え直すべきだ。
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