閉鎖した世界。
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11 , 04
4ヶ月も経って、ようやく過去に向き直ることが出来た。
マクロスE第5話。
ずっと見ないままに封印してきた「水道水」という過去だ。
既に、別の自分としてそこにいる「彼」は、
やはり人から賞賛されるようなことをしている、と客観的に見ることが出来た。
確かにあの芸は、なかなかのものだろう。

同時に、それを作り上げてきた人達の労の重さに苦しくなる。
「水道水」はどれだけ楽をしてきたんだろうと。
ステージで浮かれるだけの自惚れ屋が彼の本性だ。
人に土台を用意して貰わなければ何も出来ない、そんな道化が彼の本質だ。
歌ってみたも、アフレコも、決して彼が自分で生み出したものじゃない。
誰かが用意した基盤の上で、そこそこのスコアを出したに過ぎないのだ。

それは「ゲーム」をしているのと同じ感覚。
「彼」はゲームをする側ではあっても、ゲームを作る側ではなかった。
人を楽しませる側の人間は、どれだけ不恰好でも、自分でゲームを用意している。
それが1次創作、クリエイターやパフォーマーという生き方だ。

所詮彼のは二次創作、三次創作に過ぎないパクリ物だ。
出来の悪い一番茶を、小細工した二番煎じで唸らせるという卑怯な技でしかない。
トリックさえ解ってしまえば、実に中身のない大したことのないものだとバレる。
それが怖くて、それが露呈するのが怖くて、僕は逃げ出した。


それから4ヶ月。
「彼」のスキルだった二次創作を手放したら、ろくなことが出来なくなっていた。
一次創作としてのノウハウはすっかり抜け落ちていて、何の為に大学に通ったのかも忘れている。
習った手ほどきがゼロに戻っている感触。
嫌な汗と嫌な思考ノイズが感覚器を満たしていて、
「出来ない」という言葉が自分の行動力を麻痺させる原因になっている。

「出来ない」という言葉が脳を支配している限り、何も出来るはずがない。
自己否定の暗示は、確実に自分を呪うものだから。
プラスの作業工程に至らなければ、と足掻くこと数度。しかし足元が泥沼だ。
気がつけば生活リズムがマイナスループの中に落ち窪んでいて、
一年前の殺伐としていた時期を髣髴とさせる。

かつて、その環を断ち切ってきたものは何だったろうか。
誰かの助言(ことば)? 誰かの約束? 誰かの願い?
それもある。
しかし、乗り越えるのはやはり自分自身だった。
足を踏み出すのは、やはり自分でしかなかった。

だから、第五話を見るに至ったのだろう。
「水道水」という大きな壁を、どうにか乗り越えたいと思ったから。
自分が一年を掛けて手に入れたおかしな名声を、乗り越えたいとそう思ったから。
あの場所にしがみついている限り、僕は「水道水」未満の存在にしかなれない。
肥大化して衰えていくニコニコと共に、「彼」は過去の遺産となり、
僕は「水道水」の搾り粕にしかなれないのだと理解する。

そうでなく、きちんと正しくやっていくためには、
「水道水」以上のものにならなければならないわけだ。
誰かの生産物によりすがってしか生きられない「彼」ではなく、
自分の持ち物で勝負できる、本当の意味での芸達者になるために。

恐らく、かつてニコニコのエンターテイナーと呼ばれた人の多くが、
僕と同じ、この壁にぶち当たっていることだろう。
だから今、ニコニコという舞台そのものが低迷している。
「過去の遺物」を乗り越えられない鬱屈感に押しつぶされて。

積み重ねられていく歴史を、未来が乗り越えられないという不遇。
昭和がよかったといわれるような、ユートピア回帰の思考回路にノーを出したい。
人は過去を、歴史を踏襲して、語り継ぎながら乗り越えていかなくてはいけない。
いつまでも過去の栄華に囚われていては、どこまでも道は後ろ向きだ。

前を向け、と過去の自分が記録している。
前へ進め、と過去の自分が提唱している。
今の自分は、その過去以下なのだと痛感する。

ならば。
前へ進め、かつてより2歩以上。
それが自分の本来あるべきあり方だ。
超えられない自分などなく、塗り替えてこその人生だ。
古き栄華に宣戦布告。
これより先、自分は自分を打倒するものとする。
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